今日は3.11ですね。


毎年毎年私はいつくるかわからない南海トラフ地震に備えなくちゃと思いつつ全く腰があがらず米ぐらいしか準備ができてません。←しかもレトルト米じゃないから結局電気やガスが止まったら食べられない。。。



東日本大震災があったあの日はまだ地元の東北に住んでいました。

午後イチの診療で抜歯予定の患者さんに浸麻までしたところで揺れはじめて、だんだんやばい揺れになったのでみんなで外に避難しました。


外の電柱や信号が見たことない振り幅で揺れ、看板とかも落ちてくるんじゃないかって中、電気も消え技工室に居た技工士さんのワンセグで岩手・宮城の沿岸の状況を知り、怖くて信じられない日々でした。

被災1

次の日朝早くからみんなスーパーに並び、店内を回ることすら許されず、限られたものしか買えず(みんなに行きわたらなくなるからね。)コンビニも長蛇の列で改装でもないのに一つ残らず商品がなくなっていきました。

いつもはこの時期あんまり雪降ったりしないのにこの年に限って寒いし雪普通に降ってるし。
被災2


車がないと基本的にどこにも行けないような田舎なのにガソリンがどこにもなくてみんないつ入れられるかわからないスタンドに神頼み的に並んだり。(奇跡的に入れられても満タンは入れてもらえない。)

ガソリンに関しては結構長い期間届かなくて、私はしばらくチャリで通勤しました。

オール電化にしたばかりの実家は本当に何もできず、ただただ反射式のストーブの上でお湯を沸かして豚汁作ったり、ガスがあるお隣さんがご飯作って持ってきてくれたりと、みんなお互いを気にして協力して過ごしていました。


そして今、私は愛知に住んでいる。

南海トラフ地震がいつくるかもわからないし、人生で2回も被災すんのかとも思うけど、日本のどこにいてもそうなることはあるだろうから、せめて子どもたちを守るために!

今年こそ本当に備えなくちゃと思います。

被災3



3月に震災があって5月に沿岸に歯科診療に行ったけど、その時愛知県の歯科医師会のバスかな?すごく立派な診療バスが2台くらいきてくれて、すごく助かりました。

テレビで見るのは断片的な映像で、沿岸に向かう道中、徐々に変わり果てて行く景色を見ながらバスに揺られてたあの日のことはすごくよく覚えています。

知らない誰かが、当たり前に住んで当たり前に遊びに行って当たり前に飲みに行ってた場所が1階全部さらわれてなくなってるとか跡形もなく流されてるとか。

信じたくないあの光景は忘れません。

どこでどんな災害があっても今までのことを無駄にしないようによく考えて行動しようと思います。